Wargaming Esoterica

After Action Reports & Reviews of Simulation War Games ほぼ引退した蔵書系ウォーゲーマーの日記

【Wargaming Column】野蛮なマインドで会戦級シミュレーションをプレイする

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今日は池袋にて、北海道からお越しのサッポロ辺境伯さんと(2018年以来)5年ぶりのお茶会。月曜の午前中からおじさん2人でお茶飲みつつ、19世紀以前の戦いを扱った会戦級ゲームについて駄弁ってきた。

サッポロさんとは2011年(もう12年も前だよ)に、17~18世紀の啓蒙時代の会戦を扱ったBAR(Battles for Age of Reason)シリーズ「Kolin」(七年戦争)を対戦したが、その時のことをよく覚えていらして『あの時の市川さんは、とてもアグレッシヴなプレイをしていた』『市川さんは見た目はおとなしいのに、プレイはイケイケだった』と言われたんだけど、俺個人としては、ああいった会戦級ゲームって、もう配置の時点で『さあ、今から目の前の敵を殺しに行くぞ』という状態になっているのだから、後はもう正面の敵にぶつかって行けばいいと思っている。

もちろん歴史的には、決戦直前で斜行機動を行ったロイテンの戦いとか、武田信玄全軍が回れ右したと言われる三方ヶ原の戦いとかもあるけれど、それはまあ例外。

俺自身、ウォーゲーマーと名乗ってはいるけれど、ゲーマー要素は薄いのね。このゲームに勝つためにはどうすればいいかという工夫をするよりも(それはトレーディングカードゲームでやる)、歴史要素、ごっこ遊び要素、ロールプレイング要素の方が強いウォーゲーマーなので、会戦級ゲームを指揮する際には、無慈悲かつ野蛮な王侯貴族のマインドになって『さて、決戦の布陣は整った。皆の者、王のために死ぬがよい』という役割プレイのままに、ユニットという兵士たちをすり潰せばいいと思っている。このあたりは10年前にも「ゲーマーモードとカジュアルモード」というお題で書いたのでご参考にどうぞ。

一方、当時の兵士たちも、現代日本で言うなら、ヤンキー同士のケンカや、格闘技団体Breaking Downや、お祭りで荒れる若者のような気質で『正面から突破して皆殺しにしてやるぜぇぇ』『側面なんて攻めねえよ、根性見せてやるよ』的なマインドだったんじゃないかと。もちろんこれ暴論だし、あくまで仮説・想像なんだけど、当時の王侯貴族や兵士たちのマインドって非常に野蛮だったし、脳筋的だったんじゃないかと。いや「戦場の中世史」等を読むと、戦場から逃げ出せばそれ以上の処罰が待っていたので仕方なく戦った側面も描かれているけれど、いずれにしろ君主や指揮官は、かなり冷酷だったし、非道だったんだろうなと。

サッポロさんも、当時、敵がいない側面に部隊を送り込める判断ができた将帥って非常に少ないでしょうねと仰っていた。もちろん、それが出来た将帥は非常に有能な指揮官だったのだろうけど、やはり目の前に敵がいたら目の前に攻めていっただろうと。

しかしサッポロさんも、そこは現代に生まれた心優しき市民なので『せっかく綺麗に並べた戦列を崩したくない』とか、『兵士たちが可哀想』とか、歴史的な後知恵で『側面から迂回して攻めた方が良いんじゃないか』とか思って正面攻撃を躊躇してしまうと。でも、そういったおとなしい現代人のマインドで、ゲーム的な勝利を目指しても、なんとなく不完全燃焼のように感じると。

なので、いやいや、我々は不利だろうが何だろうが、正面から野蛮にぶつかっていって、シンプルに殴り合えばいいのでは?という話になった。どこかで勝機が出てきたら騎兵を突っ込ませればいい、程度の判断でいいじゃないかと。

啓蒙時代のBARシリーズにしても、ナポレオン戦争時代のバタイユシリーズにしても、たしかにルールは細かいので、なるべく自軍に有利に、ムダな損耗を引き起こさないようにユニットを動かしたくなるのだが、いやもう、それもどうでもいいんじゃないかと。どちらのシリーズも、カウンターの表面には兵力値と移動力しか書いていないのだし、ある意味、戦場の霧効果として、ただ兵力値だけ見て『我が大隊の方が人数が多そうだぞ、攻めてしまえ!』的におおざっぱにユニットを動かし、実は相手の方が精鋭でした、防御射撃で後退しました、うわ~、ぐらいのテキトーさ、無謀さ、蛮勇さが必要なんじゃないかと。

そこで、相手の砲兵は射程○ヘクスだから、撃たれない範囲までいったん接近して、そこから突撃隊形に……なんて細かいことは考えずに、脳筋的に攻めて、どんどん損耗して、でもどこかで上手くいって……という混沌としたプレイでも良いかなと。

そういや昨年「Arquebus」のラヴェンナ会戦をソロプレイした時がそんな感じだったな。フランス軍のパイク兵部隊が正面攻撃に失敗して軒並み壊滅したという……

13年前に、asasin氏と「Gustav Adolf the Great」のリュッツェン会戦を対戦した時も、同じく正面攻撃で惨憺たる損害を被ったのだけれど、それはそれで良い思い出。やはりこういったゲームで、おとなしい消極的なプレイをしてもつまらない派なのだ。

さらに16年前に「GBoH:Samurai」の長篠合戦シナリオをソロプレイした時は、もうすでに配置の時点で、武田軍が織田・徳川方の鉄砲の射程範囲にあり、それこそ前に行くしかないという非道な状況設定だったけれど、それもそれで楽しめた。それを陰謀ルールと感じるか、ロールプレイ上の設定と感じるかは人それぞれよね。

俺自身、40代でリスクを負って借金もし、人生の勝負をかけて転職して上手くいった人間なので、サラリーマン的にリスクを避けるという考えが薄いのかもしれない。まあ、そういった個人的な背景も、ウォーゲーム・プレイには反映されますよね、という話にもなった。

また、当時の王侯貴族や兵士たちのマインドについて真面目に学ぶなら、戦争文化論にも及ぶのだろうけど、あいにくそのあたりの著作はあまり読んだことがない。せっかくだからこの機会に触れてみようかな。未読だけど、ジョン・キーガンの「戦場の素顔」って、そういう内容だったっけ?