Wargaming Esoterica

After Action Reports & Reviews of Simulation War Games ほぼ引退した蔵書系ウォーゲーマーの日記

【参考文献】Aleksei Isaev「Dubno 1941」

Dubno 1941: The Greatest Tank Battle of the Second World War (English Edition)

Dubno 1941: The Greatest Tank Battle of the Second World War (English Edition)

 

引き続き「TSWW:Barbarossa」発売に向けて、WWII東部戦線本を収集中。こちらは、ロシアの戦史研究家Alexey(Aleksei) Isaev氏による作戦史「Dubno 1941」。1941年6月、バルバロッサ作戦開始直後、進撃するドイツ南方軍集団に対して、ドゥブノ周辺で行われたソ連南西正面軍の反撃を扱っている。サブタイトルにも「第二次世界大戦最大の戦車戦」とあるが、ソ連軍3000輌、ドイツ軍800輌が参戦しており、後のプロホロフカ(クルスク)戦車戦より、実は大規模だったという。本書が最初に発行されたのも2017年なので、まさに最新の知見というところだろうか。 

このドゥブノ戦を扱ったウォーゲームでは、World ar War誌31号「Drive on Dubno」(2013年)と、コマンドマガジン120号「ドゥブノ大戦車戦」(2014年)があるが、あいにくどちらも持っていないし、プレイもしていない。どちらも本書発行前に発売されたゲームなので、本書での知見は反映されていないかな。一応、どちらも1ユニット=大隊(ドイツ軍)/連隊(ソ連軍)という作戦級スケールになっている。

ただ、この「Dubno 1941」を読むと、むしろもっと細かい、GTS(Grand Tactical Series)のような作戦戦術級ゲームとしてプレイしたいと感じた。と言うのも著者曰く、この戦いは、戦車戦(Tank Battle)というより機甲戦(Armored Battle)であったと。ソ連軍は、大量の戦車を有していたが、それに伴う歩兵・砲兵・航空支援は無く、逆にドイツ軍は、ソ連軍戦車に対して、戦車で対抗するのではなく、歩兵・砲兵・航空支援による複合兵科効果(コンバインド・アームズ)で対抗したと。そのような機甲戦闘は、兵科の違いが如実に反映された1ユニット=中隊単位ぐらいで表現されていると、その様相がよく分かると思う。

ただ、ネックになるのは、その作戦範囲の広さだ。やはり東部戦線だけあって、この戦闘全体を1ヘクス=500mで表現しようとするのは、かなり無理。一応、本書には、6月26日に行われたソ連第8機械化軍団による反撃の戦況図も載っていたが、そこだけ切り取るならアリかなと。

本書では、バルバロッサ作戦開始当初の、ソ連軍の戦車師団や自動車化師団についても詳しく分析しているが、たしかに編制上、装備車輌は多いものの、その構成員の60~70%は軍隊勤務2年以下という、新米部隊ばかりだったようだ。

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「OCS:Smolensk」にも、戦力は高く、人員(ステップ数)も多いのに、質(アクションレーティング)が低いソ連戦車師団が登場していたが、まさにアレ。現在ルールを翻訳している「TSWW:Barbarossa」にも、この当時のソ連戦車師団/自動車化師団に特別なペナルティが課されているし、中には「半自動車化機甲(Half Mortorized Armored)」ユニットなどという、ワケの分からない部隊も登場するが、それもこの当時の、独特な部隊構成を表現したものだろう。

本書ではドゥブノ戦だけが扱われているが、恐らく他の戦線でも、ソ連軍戦車/自動車化部隊は同様の問題を抱えていたと思うので、ドゥブノ戦の戦いぶりを見ることで、当時のソ連軍全体の問題も見えてくるのではないだろうか。