イギリスの戦略思想家、フラー少将の「制限戦争指導論」が文庫化されたので購入。2009年にも再刊されていたがその時はスルーしたので、今回が初読となる。今現在、ウクライナ戦争が「21世紀の消耗戦争」的になりつつあるし、その戦争の落とし所、終わらせ方を考える意味でも興味深い。
しかし巻末の解説にもあるように、個人的には、「戦略論」を著したリデルハートとの人物的対比の方が面白く感じている。戦略思想家としては、イギリス陸軍少将という肩書きを持ったフラーの方が格上だし、理論的にも先行していたのに、ファシズムやオカルトに傾倒した部分では人物評を下げている。一方で、ジャーナリストあがりのリデルハートの方が、権威主義という点では格下だし、妙にポピュラーな宣伝能力を駆使して名前を売るという嫌味な部分もあったものの、政治的には自由主義者だったため、戦略家としての立場を確立できた……というあたり。
今時のウクライナ戦争を巡るメディア&ネット情報にしても、肩書きは学者や作家なんだけど政治主張が偏っていたり偽情報に惑わされて信頼されない人物と、単なるYouTuberやブロガーなんだけど主張は真っ当なので信頼される人物がいるのと似たようなものか。違うか。
自分の本業には「時代性の分析」も含まれていて、それで言うと、すでに「権威主義の時代」は終わりつつある。もはや政治家とか学者とか作家といった肩書きだけでは信頼されないし、尊敬もされないし、人間性や中身まで求められる時代に入っている。むしろ肩書きが無くても、人間性がちゃんとしていれば信頼されうる時代になっていく。それは誰が悪いとか、あれのせいだ、これのせいだという話でもないけれど、フラーとリデルハートについて触れた本書解説を読んで、ふとそのことを思い出した。