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After Action Reports & Reviews of Simulation War Games ほぼ引退した蔵書系ウォーゲーマーの日記

【戦国群雄伝】Game Journal #52「信玄上洛」Solo-Play AAR

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今日は、ゲームジャーナル52号付録「信玄上洛」をソロプレイ。旧ツクダ版をプレイしたのは学生時代の1988年頃なので、多分35年ぶりに触れるんじゃないかな。

お題はもちろん、元亀三年(1572年)の武田信玄の上洛戦。史実では、三方ヶ原で徳川家康軍を撃破した後、信玄本人が病没してしまったが、本作ではもし信玄が生きてそのまま西進していたら……という仮想戦ゲームになっている。ちなみに今週末は、大河ドラマ「どうする家康」でちょうどその「三方ヶ原合戦」回だそうだが、あいにく「どうする家康」は観ていないのであしからず。いや最近、テレビドラマもまったく観なくなったので……むしろ先日、平山優氏の「徳川家康武田信玄」を読み終わったので、それをキッカケにして久しぶりにプレイしたくなったと。

ゲームシステムとしては一応、戦国群雄伝シリーズ第一弾なのだが、ルール的にはまだプロトタイプという感じで、合戦は、城の上にいても合戦が拒否できなかったり、先に大きな損害を被った方が負け(全ユニットがステップロスするまで戦わない)、城を包囲するには城レベル×3倍の戦力があれば良かったり(後に10倍となる)、4ステップユニットもあったりと、後のシリーズルールに慣れてしまった身からすると、やや違和感を覚える。できれば最新作「長元記」版シリーズルールで、よりユニット数を増した「信玄最後の戦い」(TACTICS誌65号掲載)を再版してくれませんかね、ゲームジャーナルさん(^_^;)

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それはともかくユニット配置開始。織田方は、信長(★★314)本隊、柴田勝家(★324)、滝川一益(★314)で伊勢長島の一向一揆を包囲し、野戦修整3を誇る勇将・浅井長政(★★234)に対抗するため、織田家中で最も野戦修整の高い明智光秀(★334)を当たらせた。また石山本願寺一向一揆に対しては、丹羽長秀(★324)、羽柴秀吉(★314)を充当。ちなみに今回も、麾下ユニットをあえて編成表に置かずスタックさせているので、各部隊のユニット量も画像でなんとなくわかるかなと。

対する武田方は史実では、武田信玄(★★234)が高天神城、久野城、二俣城を落とした後、徳川家康(★★334)の本拠地・浜松城をスルーする形で西進したところ、三方ヶ原で合戦に及んだとされている。「徳川家康武田信玄」によれば、実は信玄は、浜名湖から浜松城への水上補給線を切るために西へ向かったという説も紹介されているが、あいにく本作ではそのような補給線までは再現されていない。また信濃方面から秋山信友(★713)、山県昌景(★724)隊も徳川領内へ侵攻しているが、家康本人がこの別働隊の方を攻めれば良かったと述懐していたエピソードもあって、なかなか面白かった。

さて第1イニング(元亀三年十月第一週)。まずいきなりイベントが発動し、織田信長の朝廷工作が成功。帝からの綸旨により、朝倉義景が撤兵してしまった。反織田陣営としては不吉なスタートだが、武田信玄本隊は甲斐・躑躅ヶ崎館を出発。対する徳川方は、嫌がらせ的に遠江東部の武田方の城を包囲しつつ、家康本隊は長篠城へ向かい、武田家に味方する奥平貞能(203)を攻撃した。伊勢長島では、信長、柴田、滝川隊により一向一揆に猛攻が加えられている。

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結局、奥平隊は長篠城を引き払い、秋山信友隊と合流。信玄本隊が遠江に侵攻したため、酒井忠次(★323)、本田忠勝(★323)も城の包囲を解いて後退し、家康本隊も久野城へ向かった。一方、織田信長は、伊勢の一向一揆を柴田、滝川隊に任せ、自ら本隊を率いて家康の救援に向かった。朝倉義景も脱落した今、畿内は何とかなるだろうと。

しかし第2イニング(元亀三年十月第二週)、今度は一向一揆の攻勢イベントが発動。いきなり一向一揆指揮官の行動力が最高値の4となり、先のイニングで失った損害もみるみる回復していく。これに気圧されたか、摂津にいた丹羽、羽柴隊が一時的に後退している。

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第3イニング(元亀三年十月第三週)、武田信玄は、秋山、山県隊と合流し、掛川城高天神城、久野城の包囲を開始。これに対して徳川家康も本隊を再編成し、浜松に到着した織田信長本隊と共に、掛川城を攻める信玄本隊に襲いかかった。

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野戦修整は家康3、信玄3と互角であり、戦力的にも織田・徳川方37戦力、武田方42戦力とぎりぎり同じ戦力列で解決するため、後はダイス勝負。後の戦国群雄伝ルールなら、どちらかのユニットがすべてステップロスするまで殴り合うが、本作のルールでは先に大きな損害を受けた方が合戦に敗北する。しかしいきなり武田信玄が最低の攻撃ダイス目1を出してしまい、最初のダイスの振り合いだけで武田方の敗北が決定。追加損害は無かったものの、信玄、山県、馬場隊は掛川城から撤退していった。

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しかし一回の殴り合いだけで合戦が終わり、負けた信玄本隊もたいしてダメージは負わなかったため、翌第4イニング(元亀三年十月第四週)には早くも回復。先の合戦には行動力のせいで参加できなかった秋山隊も吸収・再編成し、より戦力を増した形で再び掛川城高天神城に攻めかかった。

これに対して織田方は第5イニング(元亀三年十一月第一週)、はるばる摂津戦線から羽柴秀吉隊を呼び寄せ、こちらも戦力を増すことに。その羽柴隊の援軍を待つ間に、高天神城掛川城が武田方の手に落ち、さらに久野城へと馬場信春(★224)隊が攻め寄せた。織田方としては、久野近辺で合戦をしてもし負けた場合、太田川(4631~)、天竜川(4331~)を超えて撤退する際にさらなる損害を被ってしまうので、なるべくそれは避けたい。逆に武田軍が太田川天竜川を渡って浜松近辺に来たあたりで迎撃し、二度目の合戦を挑む策で構えた。

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そして第6イニング(元亀三年十一月第二週)、久野城も攻め落とした武田軍は、天竜川上流を渡河して二俣城攻めにかかった。これに対してようやく浜松から、織田信長徳川家康本隊が出撃。二俣城外にて、二度目の合戦と相成った。織田・徳川軍は総勢56戦力、武田軍は総勢49戦力と、戦力解決列で武田方が1不利になっている。しかし武田信玄は、戦力劣勢ながらも5ヒットを叩き出し、第1ラウンドは双方互角な損害。第2ラウンドも、武田軍は6ヒットという最も良好な攻撃を行ったものの、対する織田・徳川軍も負けじと最高の6ヒットでこれに対抗。武田軍は、さらに第3ラウンドも最高の5ヒットを与えたが、織田軍もまたまた最高の6ヒットを叩き出すという、恐るべき戦巧者同士の芸術的な打ち合いの果てに、僅差によって武田軍の敗北となった。そして武田軍は、敗走により馬場信春が討ち死にし、その他5ユニットを失った……

 

というところで、今回のソロプレイはお開き。久しぶりにプレイしたけれど、現行の戦国群雄伝シリーズルールとの違いに戸惑った。これはこれでシリーズ最初の記念碑的な作品だけれど、慣れているのは現行ルールだからなあ。

今回は勝てたから良かったれど、織田方としては野戦修整最高(3)の明智光秀を、浅井の抑えだけに専念させたのはもったいなかった。浅井に対しては、たぶん野戦修整2の柴田か丹羽でも大丈夫な気がするし、以前のプレイでは明智光秀を貴重な機動打撃部隊として使っていたことをすっかり忘れていた……(35年前の遠い記憶)

武田方としては、織田が徳川に対して大量の援軍を送ってくると勝ち目が薄れるので、さっさと家康だけと合戦して潰したいけれど、そんなことは徳川も分かっている。今回のように早期に援軍が到着すると、武田方としては打開策が見えなくなってくるが、今回の二度の合戦も、ダイス目次第では勝ち目もあったので、ワンチャンあると思って勝負を仕掛けるのもありかなと……

 

ちなみに来月6月1日には、ゲームジャーナル87号付録として、戦国群雄伝シリーズでまだ再販されていなかった「信長風雲録」が新版として登場するようだ。そちらはユニットの数値も変更されているようだし、旧ツクダ版とは違った味わいになりそうなので、楽しみにしている。