Wargaming Esoterica

After Action Reports & Reviews of Simulation War Games ほぼ引退した蔵書系ウォーゲーマーの日記

【Wargaming Column】1982年~1992年 私的ウォーゲーム雑誌史(後編)

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1987年。高校を卒業して浪人生活へ。さらに灰色の人生……と思いきや、予備校では好きな受験科目だけ、一日一講義だけ受けるというユルい浪人生活だったので、むしろ勉強が楽しくなってしまった。高校では、好きでもない授業を一日何時間も受けるのが嫌だったんだなあと実感した。

そしてこの年の夏から、タクテクス誌が、ウォーゲーム号とTRPG号を交互に発売していくことに。まあ、1987年前半の号を見ても、38号のモノポリー、41号のアクワイア、42号のスコットランドヤード等、今でも名作とされているボードゲームの記事が入ってきたが、自分としては『ホテルを建てるゲームのどこが面白いんだろう』とか思っていた(ボドゲファン、すまんね)。また45号には「ゲーマーのためのナンパ講座」という、ホイチョイ・プロダクションズ的?な、当時の目からしても非常にイタい記事が載り、間口を広げようとして失敗して(スベって)いたような……

自分も浪人生活だったので、この年のタクテクスは、40号から始まった「石川輝の戦術基礎講座」や、42号~44号の「レッドサン・レッドスター」(やはり故・佐藤大輔氏によるアドテクノス自衛隊シリーズのリプレイ)ぐらいしか熱を入れて読まなかったと思う。しかし今回、あらためて読み返すと、42号の第三帝国特集や、39号~41号に連載されていた「SPI式ゲームデザインの秘密」、それに続く42号の「SPI 栄光と悲惨 全真相」など、こんなに有用な記事だったんだと今さら気付いた。つまり、前年から始まった読み飛ばしがさらに強まっていった年だと。

そしてウォーゲーム号 とは言え、リスクやイルミナティ等のボドゲ記事も載り、メタルミニチュア・ウォーゲーム連載もあり、純然たる紙のウォーゲーム号という感じでもなかった。

そんなウォーゲームの退潮を察したのか、シミュレイター8号ではウォーゲーム回帰特集が組まれたが、当時の自分はそういったことには、ものすごく鈍感だった。ウォーゲームもTRPGも一緒くたに遊んでいたせいか、『えっ、ウォーゲームって廃れてるの?』という感じ。

後の世代のウォーゲーマー諸氏からすれば『そこで危機感をもってくれれば俺たちが苦労せずに済んだのに』と言われそうだが、そういう問題意識は皆無だったねえ。今でも、ウォーゲームを広めようとか1ミリも思っていないし、それは当時も同じ。何かするにしても、まだ情報が少なく、ネットも携帯電話も普及していない時代、業界人でもなければ、クラブにも属しておらず、あくまで受験勉強の息抜きとしてウォーゲームに接していた、大人としての客観性も養われていない18歳の一浪人生に何ができたんだろうなあ。悪いけど、後世の期待には応えられなかったし、当時の状況をリアルタイムで把握するのもなかなか難しかったと思う。ある程度、過去にならないと見えないこともあるしね。

ちなみにシミュレイター9号の「War in the Pacific」のリプレイや、9号から始まった「第二次欧州大戦」のリプレイ連載は楽しく読んでいた。やはりビッグゲーム好き……

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1988年。めでたく大学入学。千葉の実家から、毎日2時間かけて東京を貫通し、埼玉の奥地にある学校まで通う日々の始まり。地元の書店でアルバイトも始めたので、自由になるお金も増え、ここ2~3年買うのをガマンしていたゲームも買った。一応、バブル期の大学生だったが、特に派手なことはせず、恋愛もしなかったけれど、それなりに学生生活を謳歌していたと思う。またこの年、初めてCDプレイヤーを買ったので、洋物ハードロック/ヘヴィメタルプログレの名盤CD等を買い始めた。つまりゲーム以外にも、いろいろとお金と時間と体力を割き始めた年。

そんな1988年のタクテクス誌を読み返すと、この年から急激に、記憶に残る記事が減っている。買った覚えはあるのに、内容を覚えていない。大学とアルバイトで忙しく、惰性で買い始めたのだろうか……いやでも、あらためて1988年のタクテクスを読み返しても、あまり惹かれる記事がなかったので、単純に自分の好みと合わなくなってきたのだろう。唯一、インパクトがあったのは、55号の「Advanced Squad Leader」の紹介記事ぐらいか。また、ツクダの戦国群雄伝シリーズに手を出し始めたので、前年から連載が始まっていた、福田誠氏の「戦国時代の戦略と戦術」を溯って読んだり。

一方、1988年のシミュレイター誌では、17・18号の「Pacific War」の記事が印象的だったが、こちらも圧倒的にTRPGとマルチゲームの記事を面白がっていた。業界的にも、TRPG等に押されて、ウォーゲームの退潮が進み、徐々に自分の中でもウォーゲームがつまらなく感じ始めた年だったかもしれない……いやホント、当時はそんなこと、リアルタイムでは分からなかったけどねえ。

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1989年。世は平成に移り、自分は大学2年生。授業に出て、アルバイトに行き、運転免許を取り、投稿用の小説を書きと、いろいろ忙しかった一年。夜20:00まで地元でアルバイトをして、それから2時間かけて埼玉の大学近くの友人宅に遊びに行く……なんてこともあった。東京ドームにVAN HALENを観に行ったなあ。引き続き彼女はいなかったけど、あれが青春だったんだろうなあ。

そんな私生活の充実ぶりと反比例するように、1989年のタクテクス誌もほとんど記憶に残っていない。やはり、今読み返してもあまり惹かれる記事がないし、もはや惰性で買っていた模様。65号で発表された、オリジナルゲームコンテストの入選作「バルバロッサの場合」(山崎雅弘氏デザイン)を見て『うわっ、ブラインドサーチの東部戦線モノなんて凄いな』と思った程度。あと67号の「Advanced Squad Leader」の紹介記事……ぐらいかな。

一方のシミュレイター誌も、リプレイマンガ以外、ほとんど記憶に無かった。TRPGやマルチゲームの記事すら、ちゃんと読んでいなかったと思う。

ウォーゲームにしてもTRPGにしても、この年の新作はだいぶスルーしているし、すでにこの年、自分はゲーマー倦怠期に入っていたようだ……

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1990年、大学3年生。後の就職氷河期世代には申し訳ないが、まだバブル期。就職活動なんてほとんどせず、授業単位もかなり取っていたので、アルバイトを増やしていた時期。夏には、大学の研修旅行でインドネシアに3週間行き、帰国した日にすぐ、神保町に新作ゲームをチェックしに行ったのを覚えている。

また、この1990年には、イラク軍がクウェートに侵攻し、自分もGDW「サード・ワールド・ウォー」と「ペルシアン・ガルフ」を引っ張りだして戦力分析をし『まあ、多国籍軍の圧勝だろうなあ』と結論付けていた。一応、それだけのモチベーションはあったが、それが最後だったとも言える。

そんな盛り下がりとシンクロするように、この年、タクテクス誌がいったん休刊し、RPGマガジンと分離。それについては、何の感慨も無かったなあ。そして季刊タクテクス1号は、戦国群雄伝の記事が沢山載っていたので楽しんだけれど、次の1990年冬の2号は買わなかった。書店でアルバイトをしていたのに、入荷した2号を見ても『うーん、まあいいか』と思ってスルーしてしまった。1982年からずっと買い続けてきた雑誌を『まあ、いいか』で済ませてしまうほどに、ゲームへの熱意は無くなっていたのだろう。一応、75号の「ASL」リプレイは記憶にあるけれど……

そんな士気低下は、シミュレイター誌もご同様。1990年末の31号までは買ったが、この年の記事は、ほとんど読んだ記憶が無い。多分、買うだけ買って放置していたんだろうなあ。そしてシミュレイター誌も、翌年から判型が変わり、そこから買わなくなってしまった。あらためてこの時期の記事を見ても、あまり惹かれなかったので、自分の好みとも合わなくなってきたんだろうなあ。

自分の、第一期ウォーゲーマー時代は、この1990年末で終わったようだ。この時期は、週5でアルバイトをしていたので、お小遣い的には余裕があったし、授業も減ってきたし、彼女もいなかったので、時間はあったはず。しかしモチベーションが無かったと。お金と時間とやる気と体力が揃う時期って、なかなか無いもんだなあ。中高時代は、やる気と体力はあったのに、お金と時間が無かったからねえ。そして今は、お金はあるけれど、時間とやる気と体力が無いという……(しかも後の3つはどんどん減っている)

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そして1991年。大学4年生。大学には週1のゼミに出れば良く、引き続き週5でアルバイト。すでにバブル崩壊は始まっていたが、まだ就職活動は売り手市場で、自分も2~3社受けただけで、すんなり決定。お気楽な世代で申し訳ない。

そしてこの年から、タクテクスもシミュレイターも買わなくなっていた。 今回、1991~92年の両誌を取り寄せて、初めてその内容を知った次第。もちろん、新作が少なくなっていた時期でもあり、旧作の在庫も店頭から姿を消しつつあり、ネットオークションも無かったため、絶版ゲームを買うこともできなかった。海外ショップに直接注文する手もあったのだろうが、それを知ることもなかった。そういった商品供給的な問題は見えていたので、無くなる前にと、スコードリーダー・シリーズや、エウロパ・シリーズをまとめ買いしたのは、大学卒業間際だったかな。

このように1982年から眺めてみると、自分の人生が暗かった時ほどウォーゲームが盛り上がって多くのタイトルが出版され、人生が明るくなった時期にはその勢いが盛り下がっていき、自分のモチベーションも下がっていったという、反比例的なシンクロも感じている。それは程度の差こそあれ、この世代に共通する感覚なのだろうか。

音楽的にも、この1991年にNIRVANAの「NEVERMIND」が大ヒットし、いわゆるグランジ系のバンドが躍進し始めたが、逆に自分が好きだったそれ以前のHR/HMバンドは衰退していった。バブルの崩壊も本格化し始め、そういった時代の変化とも、妙なシンクロを感じている。ものすごく雑に言ってしまえば、1980年代が終わったのだろう。

そしてタクテクス誌を乗っ取る形で創刊されたRPGマガジン誌も、後にMagic:the Gathering等のトレーディングカードゲームに席巻され、1999年に休刊している。結局、こういった栄枯盛衰の時の流れは、人間が努力しようがどうにもならない場合が多く、1980年代のウォーゲーム・ブームもそうだったと思う。あの時期には多くのウォーゲーマーがいただろうけど、就職や恋愛など、それ以外の人生経験にエネルギーや時間を注ぐ必要もあっただろうし、それはそれで悪いことではないのよ。

自分個人も、この1992年以降は、ほとんどウォーゲームに触れなかった。コマンドマガジンの創刊号だけは買い『今時ウォーゲーム雑誌が出るなんて!』と驚いたが、続けて買うことはしなかった。そして1999年にウォーゲームに復帰し、コマンドマガジンやゲームジャーナルも買うようになったが、それを並べて、同じようにその年の自分を振り返ろうとは思わない。来年リブートされるタクテクス誌にも、特に期待しているわけでもない。やはり情報が少なかった1980年代、中高生という多感な時期に触れた雑誌だからこそ、思い入れもあるのだろうな……