Wargaming Esoterica

After Action Reports & Reviews of Simulation War Games ほぼ引退したウォーゲーマーの日記

【Wargaming Column】1982年~1992年 私的ウォーゲーム雑誌史 (前編)

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今年の夏、メルカリで隔月刊時代のタクテクス誌がまとめ売りされていたので、ついつい購入してしまった。その翌日には、古書店タクテクス誌とシミュレイター誌のバックナンバーが安売りされているのを発見し、ああ、これはまた買えということなんだなと。もともと両誌とも当時買い揃えていたが、ウォーゲームから離れていた時期にいったん処分してしまった。しかし古いゲームの有用な記事やエラッタも載っているし、やっぱり買い直すかと。幸い、ゲームショップの中古コーナーやネット古書店をこまめに探すと、安く入手できる号も多く、そこで買えなかった号はヤフオク等を利用し、あっという間にタクテクス誌のウォーゲーム号は完全に揃い(TRPG号はスルー)、シミュレイター誌もそこそこ集まった。

ところが、あらためて読み直してみると、非常に記憶に残っている時期と、ほとんど記憶に残っていない時期があり、いったい俺は当時どういう心持ちでこの両誌を読んでいたのか、あれこれ思い返すことにした。おりしもホビージャパンから、2022年にタクテクス誌のリブートも発表されたことだし、ちょうどいいタイミングかもしれない。

※当時、他にもオペレーション誌(ツクダ)や、ゲームグラフィックス誌等もあったが、そちらはもう手元に無いし、思い入れも薄いので今回は割愛。

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まず隔月刊タクテクスが創刊された1982年。1969年2月生まれの自分は、中学1年生から2年生へと移る時期。その前年の1981年に初めてのウォーゲーム「Panzer Leader」を買い、そこから半年で「NATO Division Commander」「Squad Leader」を買ったタイミングでタクテクス誌が創刊されたことになる。我ながら良い時期にウォーゲームに入門したなあと思う。

もちろん当時インターネットは無く、自分はウォーゲーム・クラブにも所属していなかったし、当時ホビージャパン本誌や戦車系雑誌にもウォーゲーム情報は載っていたが、自分は購読していなかったので、この6冊のタクテクスから入ってくる情報が頼りだった。情報が少ないうえに、お小遣いにも限界があり、次に何を買うべきかを知るために、カタログ情報として、この1982年の6冊はよく読んだ記憶がある。創刊号の「Squad Leader」シナリオ1の研究記事を見て、ああ、ウォーゲームってこういう風に研究するものなんだと初めて知った。また4号のビッグゲーム特集で『デカいゲームは良いゲーム』という刷り込みがされ、いまだにその洗脳は解けていない(^_^;) そしてこの頃から、もう好みがハッキリ分かれていて「Panzer Blitz」のユニット解説は読むけれど、大陸軍や海戦は全然興味がなかった。まあ、良くも悪くも、早くもウォーゲーマーとしてのアイデンティティが確立されていたのだろう。

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1983年。中学3年生。高校受験というプレッシャーを感じつつも、日曜日には友人たちと集まって「超時空要塞マクロス」を観た後、ウォーゲームに興じていた。この頃は、まだ所有タイトルも少なく、TRPGも知らず、同じウォーゲームを何度もプレイするという、ある意味幸せな日々だった。

1983年の記事で記憶にあるのは、7号の「Squad Leader」のデザイナーズノートや、7・8号の「Squad Leader」の小部隊戦術記事。9号の近未来戦特集も良かったなあ。表紙が曲がるくらい読んだ。しかし相変わらず、WWII陸戦戦術級か、現代戦ばかりに目が行っていた。それでも、まだまだ情報が少ない時代だったし、この1983年のタクテクスもしっかり読んでいた記憶がある。

また当時、津田沼のポストホビーに、シミュレイター誌のD&D記事がコピーされて貼ってあったが、シミュレイター誌と出会うのは、翌1984年のことである。

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1984年。都内の私立男子校に進学。JR総武線水道橋駅まで通う3年間の始まり。まあ、非常に面白みの無い高校生活だった。一応、高校でもウォーゲーム仲間ができたけれど、あいにく相手は海戦や空戦モノが好きだったので、ちょっと趣味が合わなかった。お父さんが航空自衛隊員だったA君、元気かなあ。「太平洋艦隊」や「エアフォース」につき合ったなあ。とにかく毎日、授業が終わったら、さっさと学校を出て、帰宅してすぐ、趣味の小説を書くのがストレス解消だった。

そしてこの年からTRPGも遊び始めた。なにしろD&D赤箱とトラベラー日本語版が発売された年だ。この1984年のタクテクス誌を読み返したところ、記憶に残っているウォーゲーム記事は、14号・16号の「現代機甲戦」の記事ぐらいで、やはり18号の「トラベラー」大特集等の方が印象が強い。タクテクス誌自体が、徐々にウォーゲーム以外にもページを割き始めていたし、自分の興味もTRPG率が高まっていった。

そして水道橋に通うようになったおかげで、学校帰りに神保町まで脚を伸ばし、奥野かるた店でシミュレイター誌も買うようになった(たぶん10号から)。当時のシミュレイター誌は、ページ数は薄かったものの、同人誌的なノリが面白かった。

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1985年。高校2年生。恐ろしいまでに私生活の思い出が無い……恐らく、機械的に自宅と学校を往復する日々。今から振り返ると、自分は高校なんて通わず、自宅で勉強していた方が良かったのだろう。

しかし、そんな灰色の生活の一方で、ウォーゲーム誌には大きな変化が。この年、タクテクス誌は、隔月刊から月刊になり、シミュレイター誌もリニューアルされた。高校生活は何も覚えていないのに、この両誌の刷新は鮮明に覚えているから不思議だ。

この頃のタクテクス誌は、TRPGに加えて、マルチプレイヤーズゲーム、野球ゲームの記事も増え、良く言えばバラエティに富んでいたし、自分もウォーゲーム半分、TRPG半分という割合で楽しんでいた。24号から連載された「スコード・リーダー・クリニック」を読みながら、自分でもユニットを並べてあれこれ考えたなあ。そして24号からは、毎号ゲームが付録化され、カラーの地図盤も付いてきたけれど、あまりそれは遊ばなかった。たぶんミニゲームばかりで惹かれなかったんじゃないかと……

一方、新生シミュレイター1号の伝説的なTRPGリプレイ「7つの祭壇」には強烈なインパクトがあったが、ウォーゲーム的にも「シミュレーションゲーマー地獄への道」や、ゲームサークル「会議は踊る」による「第三帝国」の記事がとても面白かった印象。この頃は、タクテクス誌をゲーム製品情報誌として活用し、シミュレイター誌は読み物として楽しんでいたと思う。

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1986年。高校3年生。大学受験がのしかかり、土曜日に代ゼミに通うため「ZZガンダム」と「ひょうきん族」を観るのを諦めた。それでも予備校の行き帰りに代々木のポストホビーに立ち寄るのが楽しみだった。おたふく風邪で学校を1ヶ月休み、勉強に遅れ始めたのもこの年。

そんなダウナー気味な私生活とは裏腹に、タクテクス誌の月間化により、ウォーゲーム雑誌情報は倍増。隔月刊時代に比べれば、毎月ウォーゲーム情報が仕込めるなんて夢のような話だが、今現在インターネット上に情報があふれていて肝心な情報に出会いにくいように、これだけ一気に情報が増えると、読み飛ばす記事も増えてきた。その最たる例が、タクテクス誌27号~30号でプッシュされまくっていた「アップフロント」をスルーしたこと。たくさん情報が増えても、もはや追いかけきれなくなっていた。

この1986年のタクテクス誌では、29号掲載の故・佐藤大輔氏による「レッドサン・ブラッククロス」のリプレイが印象的。しかし、いまだに小遣い制の受験生。そうそうゲームを買えるはずもなく「レッドサン~」も大学入学後に買ったはず。この頃は雑誌でゲーム情報を楽しみつつ、受験が終わったらいろいろ買いたいなあ~と夢想していた。ある意味、雌伏の時期。面白いゲームが沢山出ていても、それが状況的に楽しめないというのも辛いものよ……

一方、シミュレイター誌は、今手元に3、6、7号しかないけれど、こちらもTRPG、マルチゲームの情報が増えつつあり、徐々にウォーゲームの形見が狭くなってきたように感じる。その変化が両誌ともにさらに顕在化し、自分の心持ちにも変化が生じてくるのは、翌1987年以降のことである……(以下、後編に続く)