Wargaming Esoterica

After Action Reports & Reviews of Simulation War Games ほぼ引退した蔵書系ウォーゲーマーの日記

【参考文献】ゴードン・W・プランゲ「ミッドウェーの奇跡(上下)」

ネット古書店から「ミッドウェーの奇跡(上下)」を購入。日本語版は1984年と古い本だが、ミッドウェー作戦史としては定評があるかなと。著者プランゲ氏は、元GHQ戦史室長であり、戦後に日本側の作戦当事者たちから直接聞き取った内容も含まれている。なぜ今これを買ったかと言えば、そろそろ「TSWW:Day of Infamy」のミッドウェー作戦シナリオに触れたいのと、先日ピーター・パーラの「無血戦争」を読み返していたら、ちょっと気になる部分があったので。

「無血戦争」では、軍用ウォーゲームや図上演習の歴史にも触れているが、その中でミッドウェー作戦前に行われた図上演習も採り上げている。ミッドウェー図演と言えば、日本軍プレイヤー兼アンパイアを務めた宇垣纏少将が、日本軍機動部隊がアメリカ軍の空襲を受けた際、命中弾を1/3に減らして、空母赤城と加賀の撃沈が無かったことにしたというエピソードが有名だが、今回そこはどうでもいい。パーラも「無血戦争」の中で、その判定を変更したからといって、そのウォーゲーミングが失敗したわけではなく、むしろそこで提示された問題を無視したことの方を重要視している。

そして「無血戦争」では、この図演にも参加していた、当時の第一航空戦隊航空参謀、源田実中佐による『アメリカ軍プレイヤーを務めた松田千秋大佐(戦艦日向艦長)がアメリカ人らしくプレイしなかったため、アメリカ軍に対する誤った印象を与えた』という言葉を紹介している。

アメリカ軍プレイヤーがアメリカ軍らしくプレイしなかった……ウォーゲームやTRPGでは、よく聞く話だが、この元ネタが載っているのが「ミッドウェーの奇跡」だったので、早速取り寄せて確認してみた。なるほど確かに本書には『松田大佐は、その可能性があったにも関わらず、ハワイから出撃してこなかった』とある。ミッドウェー図演は、まずミッドウェーを日本側が奇襲し、その後、機動部隊はフィジーサモアへ転戦し、さらにハワイを攻めるという段取りになっており、アメリカ軍空母部隊が出撃するのは、ミッドウェーが奇襲された後という想定だったようだ。そのため松田大佐も、空母部隊は出さず、ミッドウェーの陸上機(B17等)のみを使って日本軍機動部隊を空襲したところ、これが赤城と加賀を撃沈してしまい、判定がやり直されたと。

しかし、ややこしいのは、この時の松田大佐の陸上機空襲が、アメリカ軍の空母艦載機による攻撃だと誤解されているところか。日本の公刊戦史とも言える、戦史叢書80巻「大本営海軍部・聯合艦隊2」を見ても、以下のようにある。

この図演でミッドウェー攻略の最中に、米空母部隊が出現し、わが空母に大被害があり、攻略作戦続行が難しい状況となった。そのため統監部は、審判をやり直し、わが空母の損害を減らして演習を続行したが、攻略が遅れたため艦艇燃料が不足し、惨憺たる状況を呈した。聯合艦隊参謀長(宇垣少将)は、このようにならないように作戦を指導すると述べた。しかし参会者のほとんど全部が、米艦隊の出現はミッドウェー攻略後と判断していたので、たいした問題にはならなかった。(p419-p420)

この「米空母部隊が」という記述を、そのまま引用している書籍や記事もあるようだが、恐らくこれは戦史叢書が間違っていると思われる。実際には、陸上機による攻撃であり、松田大佐は、戦後のインタビュー(歴史と人物1981年9/10 123号)でも『足の長い飛行機で索敵する』ことを主軸にアメリカ軍プレイヤーとして指揮したとある。その結果、例の判定やり直しとなるワケだが、「無血戦争」では、実際、史実でも陸上機は攻撃したものの、有効な命中弾を与えられなかったのだから、宇垣判定の方が事実に適しているんだよ、とも言っている。このあたり、歴史ファンとしても、ウォーゲーマーとしても面白い。

まあ、そんな雰囲気作りも進めつつ、いずれ「TSWW:Day of Infamy」ミッドウェー作戦シナリオに触れてみようと思う。