Wargaming Esoterica

After Action Reports & Reviews of Simulation War Games ほぼ引退したウォーゲーマーの置き土産

【Wargaming Column】もしシミュレーション・ゲームが歴史小説なら

先日の「鉄十字の軌跡」トークセッションでは大木毅氏が「シミュレーション・ゲームとは歴史ではなく歴史小説だ」と発言されていた。シミュレーション・ゲームは、軍事的合理性を伝えるには本よりも優れ、だからゲームをプレイすると実際の歴史を分かった気になってしまうけれど、実際には戦争の愚かで、賢く、美しく、醜い部分だけを抽出した、あくまで楽しみのために提示された歴史小説なんだ、と例えられていた。

ああ、なるほど卓見だなあと自分も感服したが、その後同氏の「細かい戦闘序列を反映させるのは好きじゃない。独立重戦車大隊などはユニット化するより、師団の戦力を1増せばいい」 と云う発言を聞いた時、ちょっと違和感を覚えた。なぜって?もしシミュレーション・ゲームが歴史小説なら、独立重戦車大隊って非常に魅力的な登場人物にできるからだ。

勿論、削ぎ落とすゲーム・デザイン手法は分かる。たしかに細かいユニットがわらわらあって、セットアップに時間がかかる割りにはゲームの大勢に影響がない、そういうゲームであれば削ってしまった方が美しくなる。また「キャラクター性」をばっさりそぎ落としても、「テーマとコンセプト」「システム」「ゲームの展開」がしっかりしていれば、ほぼマトモな作品になるであろうことも承知のうえ。

ただ大木氏が仰る重戦車大隊の処理は、すでに10年前「Ukraine'43」で解決されていると思う。皆さんもご存じの通り「Ukraine'43」は師団/軍団規模のゲームだ。「削る手法」から言えば、重戦車大隊なんざ削られて当然の存在である。しかし本作では、戦闘比を1シフトさせる特例ユニットとして登場し、単独でうろちょろするのではなく装甲軍団に付随して真価を発揮し、実際の運用に沿って動いたうえで、魅力的な登場人物として活躍する。

おそらく大木氏も「Ukraine'43」のスマートな処理をご存じであれば、あのような発言はされなかっただろうし、自分もすべてのゲームに重戦車大隊が必要とも思わない。ただ「Ukraine'43」の重戦車大隊に見られるように、ただ削るだけでなく「キャラクター性」の魅力を巧みに取り入れて歴史小説を作ることも全然可能なのだ。