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After Action Reports & Reviews of Simulation War Games ほぼ引退した蔵書系ウォーゲーマーの日記

【戦国群雄伝】「長元記」天魔王襲来 ソロプレイAAR

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先日「戦国武将列伝10  四国編」を購入した流れで、戦国群雄伝「長元記」をプレイしたくなった。まだゲームジャーナル版は未プレイだったので、早速カウンターを切り、一番バランスが取れているというシナリオ3「天魔王襲来」を配置。このシナリオは天正十年(1582年)六月、本能寺で織田信長が死なず、そのまま予定通り神戸信孝丹羽長秀によって四国征伐が開始されていたら?という仮想シナリオである。史実シナリオは、長宗我部方に有利な設定が多いため、こちらの方が良いだろうと。

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まず讃岐戦線では、長宗我部方の香川氏・羽床氏が、織田方の香西氏・奈良氏と対峙している。双方共に行動力2の武将ばかりなので、あまり期待はできないが、どちらも上位の長宗我部・織田の総大将・大将クラスに編入することは可能。と言うか、まさにそうした方が良いのだろう。ちなみに今回も編成表は使わず、地図盤上にユニットを積み重ねて、その兵力数をわかりやすく表現してみた。

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伊予北部戦線では、織田方の河野氏と、長宗我部方の金子氏が対峙。金子元宅(★323)は行動力3だが兵力的に劣勢。対する河野通直(★★222)は、総勢1万の兵を集めているが行動力は2と頼りない。

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伊予南部戦線にも、織田方の西園寺氏が総勢1万を展開させているが、西園寺公広(★312)は、他の指揮官を統率できず、小競り合いしかできない大将となっている。しかし他の大将とスタックしている場合は総大将として野戦修整(頼りない1)を使うことになり、せっかくこの地方最強の勇将・土居清良(★343)(野戦修整最強の4)がいても、合戦の采配は西園寺公広が担うことになる。その土居清良にしても配下に2ユニットしか編入できず、戦力9までしか扱えず、1レベルの城すら包囲できない(包囲には城レベル×10戦力が必要)。

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阿波戦線には、反長宗我部方で最も頼りになる男・十河在保(★★333)が、三好家の兵を加えた総勢1万と共に待機。その背後の淡路島には、すでに織田信長軍の四国征討部隊、神戸信孝(★★213)と丹羽長秀(★224)隊が控えている。丹羽長秀は、このシナリオ中、唯一の行動力4を持った武将である。

このように讃岐、伊予、阿波という3方面から長宗我部元親の本国である土佐に向けて攻撃が開始され、長宗我部としては内線作戦を強いられる展開となる。長宗我部元親(★★323)は、総勢2万7千の兵を集めているが、麾下の大将クラスも含めてその行動力は3であり、果たして3方向からの敵に対処できるのか?という、たしかになかなか面白い状況設定になっている。

まず第1イニング(1582年6月第2週)、長宗我部元親は、弟の香宗我部親泰(★323)に5千の兵を預け、4カ国の結節点である白地城に配置。元親本隊1万1千は、そこから西進し、金子氏と合流。伊予北部の河野氏討滅に向かった。伊予南部には面倒な土居清良がいるし、先に合戦で河野氏を潰しておこうと。

一方、阿波の十河勢1万は、長宗我部方の仁宇城を強襲。大兵力にモノを言わせ、城の耐久力をガリガリと削っていく。それに対して長宗我部方も、猛将・桑名吉成(★333)4千を送り込んだが、十河勢から手痛い反撃を喰らっている。また神戸信孝丹羽長秀隊は讃岐へ向かい、その配下に香西氏、奈良氏を組み込み、兵力を増した上で作戦を行う計画である。

第2イニング(6月第3週)、神戸信孝は香西氏、奈良氏を部隊に編入して総勢9千となり、同じく総勢9千の丹羽長秀と共に、羽床城の羽床資載(★332)2千を攻撃。野戦修整3の羽床資載は頑強に抵抗したが、多勢に無勢、今滝五郎左衛門(312)が討ち死にし、城内へ退却、籠城することになった。これに対して白地城から香宗我部親泰隊が救援に駆けつけている。

一方、長宗我部元親本隊は、金子元宅隊5千を編入し、総勢1万6千となって河野勢1万に接近。しかし河野通直は合戦を避け、じりじりと後退。河野勢としてはできるだけ時間を稼ぎ、織田軍の来援を待つばかりである。

第3イニング(6月第4週)、神戸信孝は羽床城の包囲を開始。丹羽長秀隊は、聖通寺城まで前進していた香宗我部親泰隊を攻撃し、これに痛撃を浴びせた。香宗我部親泰は城ヘクス上で補充を受けつつ抵抗しようとしたが、あいにく補充ダイスがハズれて補充無し。そこへ第3、第4ステージ連続で丹羽長秀が攻撃を加えて、親泰隊はすべてステップロス。さらに2ヘクス後退する際、土器川を渡ってさらに1ステップロス=戸渡親清が討ち取られてしまった。

阿波では十河勢が仁宇城を陥落させ、伊予北部では河野通直が山地ヘクスに入って合戦を避けるという遅滞行動が続いている。

第4イニング(7月第1週)、阿波の十河勢は、牟岐城の桑名吉成を攻撃。お互い野戦修整3のハードパンチャー同士の殴り合いだが、城ヘクスに陣取る桑名吉成は必死に補充を続け、防衛線を維持した。讃岐の丹羽長秀も、聖通寺城を攻囲開始。

一方の長宗我部元親本隊は、河野氏国府城、象ヶ森城に強襲をかけたが、どちらも城方が頑強に抵抗し(迎撃に成功)、長宗我部方も複数のステップロスを喰らうハメになった。

第5イニング(7月第2週)、阿波では、十河勢の猛攻を受けた桑名吉成が遂に5ユニットすべてがステップロスし、牟岐城から海部城へ撤退。しかし十河勢も10ユニット中6ステップロスと痛手を負ったまま牟岐城攻略に入った。讃岐では、丹羽長秀聖通寺城を落としている。

対する長宗我部元親本隊も、国府城、象ヶ森城を陥落させたものの、度重なる強襲に伴う城方の迎撃により、16ユニット中7ステップロスもの痛手を負ってしまった。このまま河野通直と合戦に及んでは、むしろ負けてしまう可能性も……

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第6イニング(7月第3週)、河野通直は、今ならワンチャン長宗我部元親本隊と合戦に及んでも互角に戦えるのではと思い、遂に合戦に応じることに。しかし野戦修整は互角でも、やはり戦力差に差があり、4ラウンド戦った末に河野勢は敗退。大将・大野直昌含めて6千の兵を失い、残り4千。たとえ全ステップを回復させても8戦力しかなく、城の攻囲ができないレベルにまで衰微してしまった。しかし長宗我部方も、16ユニット中12ステップロスともはや半壊状態である。

第7イニング(7月第4週)、長宗我部元親本隊は金子山城まで撤退し補充に専念。その間に讃岐では羽床城が陥落。聖通寺城を落とした丹羽長秀も、土器川を渡って天霧城に迫り、香川勢4千に痛撃を与えた。

第8イニング(8月第1週)、各地で傷ついた武将たちが補充に専念する中、丹羽長秀は香川勢を天霧城内に追い詰め、強襲をかけた。これに対して再び香宗我部親泰隊が救援に駆けつけるも、やはり丹羽長秀隊から猛反撃をくらって撤退。

第9イニング(8月第2週)、長宗我部元親本隊はようやく全回復。天霧城攻めには神戸信孝も加わり、城内の士気は-2、耐久度も2まで落として降伏勧告を行ったが、香川勢からの返答は無し。

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最終第10イニング(8月第3週)、全回復した長宗我部元親本隊は、やはり回復した香宗我部隊と合流し、総勢2万となって天霧城救出へ向かった。しかし一歩遅く、天霧城は陥落。籠城していた香西勢5千も除去された。ならばと長宗我部隊は、織田(神戸・丹羽)軍に合戦を挑もうとしたが、合戦をやるやらないの決定権を持つのは後手の織田軍。一応、織田軍も2万を擁しているが、ユニット戦力で言うと長宗我部側が優位。そして野戦修整も、丹羽長秀(2)ではなく、総大将の神戸信孝(1)を使わなくてはいけないので、その点でも不利……ということで、織田軍は撤退してしまった。

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そうして讃岐戦線に長宗我部元親本隊を釘付けにしている間に、阿波から十河勢に土佐を攻めさせればいい……とは言え、こちらも桑名吉成が善戦を続けていて、いまだに土佐には入れていない。

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南伊予方面は睨み合いで終わり。

結果、奪った城と除去した敵武将による勝利点を合計すると、織田方22点、長宗我部方9点となり、織田方の勝利と相成った。まあ、たしかにバランスは良いし、両軍とも主力をどこへ振り向けるか、選択肢が複数あって考えさせられるのが良い。今回は初めてのプレイだったので、こういった経緯になったが、もっと良い選択肢はなかったのか、いずれまた考えてみたい。