Wargaming Esoterica

After Action Reports & Reviews of Simulation War Games ほぼ引退したウォーゲーマーの日記

【参考文献】Jack Radey & Charles Sharp「The Defense of Moscow 1941 : The Northern Flank」

「TSWW:Barbarossa」には、1941年10月~12月のカリーニン周辺での戦闘を扱うシナリオがあり、それは先日、日本語訳ファイルとしても公開されたのだけれど、その元ネタとなった「The Defense of moscow 1941」もすでに購入済みである。いつものようにKindle版ではなくハードカバー版で入手。TSWW制作チームは、本書にインスパイアされて、カリーニン戦シナリオを作ったそうで、そのためゲームクレジットにも「Barbarossa」から、本書の著者であり、ウォーゲーム・デザイナーでもある、Jack Radey氏の名前が載っている。

シナリオの前説にも書いてあるが、たしかにこの戦闘、(自分が読んだ範囲でしかないが)ドイツ側からの戦史にはまず出てこない。コロミーエツの「モスクワ攻防戦」には、ソ連側の反撃の様子が載っているし、昔懐かしいソ連版の「第二次世界大戦史」第3巻でもちょろっと触れられているが、ドイツ側の作戦意図までは詳しく書かれていない。まさに、忘れられた戦い、という感じだ。 

1941年10月、ドイツ第3装甲軍集団はカリーニンを奪い、そこから東のモスクワに向かって進撃し、クリンを占領した後、モスクワに近接する運河に橋頭堡を築き……という展開は、ドイツ側の戦史にも載っている。しかし本書によると、ドイツ軍はカリーニンを奪った後、すぐには東に向かわず、むしろ逆方向の北西に向かっていたと。その行動の裏には、北方軍集団からも部隊を南下させて、ヴァルダイ高地の東側で手をつなぎ、そこに陣取るソ連軍を包囲しようという狙いがあったと。しかしソ連軍の果敢な反撃によって、その意図は挫かれ、仕方なくドイツ軍は包囲を諦め、モスクワへ向かった……ということらしい。

後世の人間からすると『いや、そんな包囲なんかせずとも、すぐに直接モスクワを狙えば良かったのに』と言いたくなるが、Jack Radeyによれば、それは後知恵だと。当時のドイツ軍は、あわてなくても、いずれモスクワは陥落するだろうから、それよりヴィヤズマ包囲戦のように、先にソ連軍をまた一網打尽にしようと思っていたらしい。まあ、そういった楽観的なモノの見方をしていても、おかしくはない。

「TSWW:Barbarossa」ではこの戦闘を、史実通りのシナリオAと、北方軍集団も参加する仮想シナリオBとして紹介している。規模的にも手頃なので「TSWW:Barbarossa」で最初にプレイするシナリオとしては良いかなと思い、自分も現在、シナリオAのソロプレイの準備中である。

もしこのカリーニン戦にご興味があれば「OCS:Guderian's Blitzkrieg II」の地図盤A+Dだけでも、プレイ可能かもしれない。あいにくシナリオとしては、中央からモスクワを攻める地図盤B+Eシナリオ(The Northern Pincers)、南から攻める地図盤C+Fシナリオ(Guderian's Blitzkrieg)しかなく、こちらでもカリーニン戦は無視されている。さらにOCSでは、レニングラード方面の地図盤や部隊カウンターが無いため、ヴァルダイ高地を包囲するところまでは、今のところ表現できない。となると、やはりTSWWの出番ということで、近いうちに触れてみようと思う。