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After Action Reports & Reviews of Simulation War Games ほぼ引退した蔵書系ウォーゲーマーの日記

【戦国群雄伝】「鎮西軍記」 島津征伐 Solo-Play AAR Part.1

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「鎮西軍記」の島津征伐シナリオをソロプレイしてみた。シナリオ開始時、島津軍は豊後にて大友家の城3つを包囲中。龍造寺が嫌々ながら島津と同盟している。しかしユニットを見れば、豊臣軍の兵力は圧倒的。島津軍は質的に優勢なものの、秀吉本隊到着と共に、傘下の中小大名が豊臣方に寝返るので、時間が経てば経つほど兵力差が開いていく

さて序盤。メインの豊前・豊後戦線。島津家久竜王城の大友義統を攻撃。野戦修正3差は圧倒的で、義統隊は早くも瓦解し、応援に駆けつけた小早川隆景も打たれ負け。それでも第2ターン増援の宇喜多秀家が馳せ参じ、島津をくい止めた。その間に黒田考高と毛利諸隊は宇都宮・秋月の攻略に着手。足場を固める豊臣軍に対し、島津義久高良山(久留米)まで出陣するも、平穏な筑後戦線より、豊後に戦力を集めた方が良かったかもしれない。竜王城には島津義弘も現れ、家久との野戦修正4(最強)コンビで 小早川・宇喜多隊を撃退。竜王城を包囲にかかる。しかし反撃によるダメージも大きく、義弘隊がいったん後退。

ここで角牟礼城を出た毛利隊が別府へ進出し、島津の連絡線を遮断した。伊集院隊も回復した宇喜多隊に攻められ、島津家久隊は仕方なく竜王城から撤退。しかし角牟礼城には続々と豊臣軍が集結し、その奔流は3方向から豊後に攻め寄せた。野戦に弱い毛利隊も地形を生かして前進。なにしろ豊臣軍は兵力が多く、 部隊を繋げて山地にも連絡線を通せるのだ。島津軍は回復中の義弘隊も投入したが、小早川・宇喜多隊の猛撃により義弘隊ユニットがすべてステップロス。毛利隊も4隊による連続攻撃で山田有信隊を退け、南山城に迫った。

一方、筑後方面には豊臣秀長が進出。さらに秀吉着陣と共に、雪崩をうって龍造寺・有馬が島津から離反。豊後攻めに加わっていた相良等の諸隊も国元に帰ってしまい、 秀吉に対し薩摩への道案内を買って出る始末である。この離反で、島津義久が敵中に孤立。麾下の筑後衆も逃げ出してしまい、義久隊は後退するしかない。秀吉本隊も八代まで進出したが、そのスタックはまさに超高層ビルの如し。背後には相良も待ち構えているので、義久隊はさらに薩摩へと逃れた。

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この後、秀吉本隊スタック(100戦力オーバー)は水俣、出水城を強襲1発で陥落させ、島津の本城・内城に迫った。当然、義久隊は不利な合戦を避けるも、秀吉・秀長・黒田・鍋島・立花の連続攻撃により義久隊も全ステップロス。秀吉スタックが内城を包囲したところでゲーム終了とした。

豊臣軍は、勝利条件(出水・佐土原両城の包囲)を達成できなかったものの、形としては明らかに島津軍の敗北である。局地戦では島津が一時的に勝つが、豊臣軍は次々に新手を投入するので、いくら敵を撃退しても決定的勝利には持ち込めなかった。豊臣軍は山城に居座り、防戦に徹して補充を繰り返す事。秀吉が来れば島津の兵力も減るのでそれまでガマンである。また野戦修正2以上の部隊で、義弘・家久隊を釘付けにするのも良いかと。野戦に弱い部隊(毛利等)は、まとめて城攻めに向かわせるべき。すべての攻撃ルートを防げるほど島津に兵力はない。

逆に島津はどうすべきだろうか。今回、主力部隊は最後まで豊後に残ったが、頃合いを見て薩摩へ引き返し、南下する豊臣軍を押さえるべきか。この場合、島津軍が城への居座り戦法を採ることになるが、薩摩の城はほとんど平城なので地形を生かせないのだ。などといろいろ考えつつ再セットアップ開始。今回は義久隊が遊軍と化してしまったので、あらためて島津軍・豊後集中作戦を試してみようと思う。